「ここ」
放課後、愛子が梧桐に連れてこられたのは、ソワレの運営事務所。
学校からさほど遠くなく、歩いてもじゅうぶんこれる距離にある。事務所は、まるでおしゃれなオープンカフェのような開けた雰囲気で窓からは小さく海も見えた。
そして、そこで愛子を迎えたのはよく見知った顔だ。
「あ、陸奥さん。」
「お?衣沢さんじゃん。何、どうしたの?」
事務所のなかには、愛子のアルバイト先のカフェ海音でほぼ毎日コーヒーを飲んでいる陸奥がいる。
愛子も陸奥も困惑しながら、互いに見合うと、梧桐が二人の間に割って入る。
「ソワレの従業員候補だよ、お前が連れてこいって言ったんだろ。」
「え!?あおの言ってた子、衣沢さんだったの?!まじかよぉ。」
「ダメなら、別に構わねぇよ。つーか、何で知ってんだ。」
「いやいや、俺はいいんだよ!前言ったろ?海音の新しいバイトの子、真知子さんに断られたってさ。それが、衣沢さんだったんよ、はは、こんな偶然ある?」
今度は、けげんな顔で梧桐が愛子に問う。
「お前、真知子のとこでバイトしてんのか?」
「え?あ、うん。そうだけど。」
「マジかよ?何なんだよ、そりゃあ…。」
真知子を名前呼びしたり、海音でのバイトにドン引きしたりする梧桐を不審に見つめる愛子。
陸奥は、愛子を座り心地の良さそうなソファ席に誘導してくれる。
「まま改めて、ようこそ!真知子さんに怒られちゃうかな~。まぁ、いいよね。」
「こいつは陸奥で、ソワレ運営の責任者。で、陣のトップ。」
「やだ~。もう、衣沢さんと俺の仲に、そんな説明はいらないって~」
愛子は梧桐の言葉に、びっくりして陸奥を見る。
「え?!陸奥さんがですか?!」
「必要じゃねぇか。」
「うるせーな!で、簡単に説明するとさ、俺たち陣が運営してるソワレなんだけど、人数足りないときに衣沢さんみたいな子にバイトで入ってもらってるわけ。」
陸奥からの説明に、さらに困惑する愛子。
「え?陣?……っていうのがソワレを運営してるんですか??」
「え?あ、そうなんだけど。おいおい、あお!お前、何も説明してねーのかよ!」
「別に、そこは関係ない情報だろ。もう陣以外のキャストも多くなってんだし。」
「はぁ~不親切だな~。衣沢さんは先月こちらに越してきたばっかりなんだぞ!ま、大丈夫、俺が手取り足取り、」
「お前、1m以上近付くな。真知子に言うぞ。」
「え、真知子さんに言われるのはちょっとまずいって…」
軽快なやりとりが続く陸奥と梧桐。ちょっと意外な組み合わせだが、息はぴったり。
愛子が最初に感じた通り、陸奥は特別だ。同い年で牧場オーナーをつとめるマオ双子をはじめ、地方にもいろんなすごい子がいるのを感じていたが、ソワレの規模を考えばどこかの会社が主催しているのだと思っていた。それなのに蓋をあければ、責任者は愛子と同い年の陸奥だという。
愛子は、情報を整理しながら梧桐を見る。
「梧桐くんも、陣っていうのの、メンバーなんだよね?」
「あぁ、そうだけど。」
「あおは、ナンバー3ね。つまり俺のほうが上ってこと。偉そうにしてるけど、俺より下なの。そう下なのよ。」
「お前が、偏見と偏見に基づいて割り振ったただの番号だろ。」
タイプこそ違えど、この異様な二人ー陸奥と梧桐が所属する”陣”。もしかしたら、想像よりももっとすごいのかもしれないと思い直す。
梧桐は、あたりを見渡す。
「ほかの連中は?」
「デブは来てるよ。今連れてくるから。まぁ、余裕で平気っしょ。」
梧桐と陸奥が見合ってアイコンタクトを取ると、陸奥は奥のほうへと行ってしまう。
「今陸奥が連れてくるのが、伊地知。臨海の2ーD。」
「同級生?」
「あぁ、家が高級料亭やってて、料理の腕は超プロ級。ソワレの料理長で、働く予定のソワレのルパスホール(食事会場)の総括。言うことねぇエリートで大金持ちなんだが、とにかく性格が悪くてデブなのが特徴な。」
「えっと……」
「そんで、」
奥の扉がバーンと大きく開いて、そこから入ってきたのが、梧桐の言う通り大柄な体躯の坊主頭だ。
よく通る声で、まだ10mほど先だが、伊地知の話す声がしっかりと耳に入る。
「おい、どこいんだよ?!今度はちゃんと料理できるやつ連れてきてんだろうな?!ったく、この前入ってきた奴、全然ダメだったぞ!俺の負担が増えるばっかりで、その分は、もちろん上乗せあるよなぁ!?」
「まぁまぁ、伊地知先生。今回の子は気に入っていただけると思いますからー。ご機嫌を直して直してー」
梧桐がいったように伊地知は体がでかく、声も大きく、存在感が抜群。
でも同時に愛子は不思議にも思う。D組なら学校で同じ西棟だし、こんなにも目立つ人物なら見たことがありそうだったが、思い当たらない。
突き進んできた伊地知が、やっと愛子のほうを見てしっかりと目があう。
「あ、」
愛子が慌てて会釈すると、すぐに目を逸らされてしまう。
陸奥はそんな伊地知の様子をみてご満悦のようで、隣でニヤニヤしていた。
「衣沢さん、こっち伊地知ね。我らの料理長さま。」
小さい声で頷く伊地知。
「お、おう。」
「はじめまして、衣沢です。よろしくお願いします。」
消え入りそうな小さい声の伊地知。顔は真っ赤で、愛子のほうを絶対に見ようとしない。
「あ、あぁ…よろしくな…」
180度の変わりように、愛子が不安になっていると、隣にいる梧桐が説明してくれる。
「で、女に弱い。声も小さくなってしゃべれなくなる。」
「そうそう、ちょっとシャイボーイでねぇ。でも、料理の腕だけはすっげー確かだからさ。」
「おい、梧桐!!!お前わざとか!?女なら、せめてブス連れてこいって言っただろ!?毎回毎回よぉ!!」
「こっちも基準ってもんがあんだよ。」
「っ、この、くそどもめがー!!」
喚きながら走り去っていく伊地知を、愛子はなんとも言えない表情で見送る。
笑いながら陸奥が話す。
「はは、本当可愛いんだよなぁ。えーと、あとは、宝田ってのが働いてもらうルパスホールのリーダーで同じ臨海生なんだけど、今日は19時すぎるらしいわ。そいつは後々ね、なかなか見ごたえあるやつよ。あとは月岡ってのがいて、会計とか実務の総括してるやつでさ。ソワレは、俺とこの月岡が運営役してて、外部とのやりとりもここら辺でやってる感じかな。月岡は正木高校で、ちょっと遠くてね。いつも来るのが17時過ぎなんだ。」
現在は16時半を回っていて、愛子も17時から海音でのアルバイトが控えている。
時計を気にする愛子に、梧桐が声をかける。
「今日も、この後バイトって言ってたよな?」
「うん。17時からで、もうそろそろ出ないと間に合わないかも。」
「?10分もかかんないだろ、真知子んとこなら。」
陸奥がため息をつく。
「はぁ~わかってないな。これだからモテないやつは。女の子なら、ここから海音まで12,3分はかかるよね?昇り坂もなげーだろ!」
「はぁ?12,3分とか、誤差だろうが!」
「あ、えーと……(臨海高校からは25分で、ここからだと20分ぐらいだと思うんだけど。まぁいいか…)」
そのとき、事務所の扉が開いて3人の視線がそちらに向く。
事務所にあくびをしながら入ってきたのは、髪をツンツン立てた学ラン姿の男の子だ。
「ちゃーっす、ちゃーっす」
梧桐と陸奥に比べると、まだ幼さが残る表情の少年は、二人に囲まれた愛子を物珍しそうにみる。
「あれ、何してんすか?お二人で女子連れ込んで。はっ、ま、まさか!」
「おい、瀬戸口(せとぐち)。レディーの前で、つまんねーこと言ったら切れんぞ。」
「いたいたいwwwすいません、すいませんってばー!」
梧桐が、瀬戸口を見ながら、愛子に説明してくれる。
「こいつは、山辺高校の瀬戸口。なんでか知らないけど、一学年下なのに陣に入ってきて、陸奥にいろいろ雑用させられてる奴。」
「ちょっと、紹介の仕方雑すぎww」
瀬戸口の目が愛子に向く。
「この人あれっすかwルパスのバイトすか?」
「衣沢愛子です。よろしく。」
「よろしくお願いしまーす!愛子パイセン、俺、ソワレ運営のサポートなんで、なんかあったら言ってくださいね。」
陸奥は不服そうに瀬戸口を睨む。
「おいおい、俺でもまだ衣沢さんなのに、名前呼びしてんじゃねぇぞ!年下なのをいいことに。」
「はぁ?wwwそんなの、知らないっすよww」
「じゃあ、俺は愛子ちゃんって呼ぶから。俺のことは、英司か、むっちゃんって呼んでほしいな~。」
「うわ~、なんか手口がセクハラおっさんっぽ~ww」
陸奥に、プロレス技を掛けられている瀬戸口を見ながら、愛子はマオ双子が行っているといっていた高校の名前が”山辺高校”だというのを思い出す。
「あ、山辺高校って、チュンメイとコウウンが行ってるところかな。」
ふと思い出した事を話すと、じゃれあっている瀬戸口と陸奥の視線が愛子に注がれる。
「な、なんで愛子パイセン。我らが山辺の極悪双子のこと……」
「あ、愛子ちゃんって、チュンメイたちの手のうちのものだったの?」
「??」
唯一、落ち着いていたのは愛子の隣にいた梧桐。
「山辺校のマオ双子は、陣のメンバーなんだよ。」
「チュンメイとコウウンが?」
「あぁ。マオ姉弟のことだろ?あいつらは、この辺じゃかなり有名だから。…で、何でマオ姉弟のこと知ってんだ。」
愛子は梧桐の説明に首を傾げながら、マオ姉弟の牧場で働いていることや、とてもよくしてもらってることを話す。
陸奥は不思議そうに愛子を見る。
「愛子ちゃんって、なんかすごいとこでばっかバイトしてんね。海音の真知子さんに、マオ牧場のマオ姉弟って。最強すぎるでしょ、はは。」
「もともとマオ牧場のバイトは、真知子さんから紹介してもらってて。」
さらに怪訝な表情になる梧桐・陸奥。
「はぁ?あのババア、何たくらんでやがるんだよ。」
「おいおい、気持ちはわかっけど、真知子さんに”ババア”って聞かれたら消されちゃうから慎めって…。」