日もすっかり暮れた4月最初の金曜日の19時。梧桐は南海駅前の純喫茶・海音に久々に訪れていた。まず、そこで梧桐を迎えたのは、店主である真知子。
「あ!秋也じゃん。」
「ホットコーヒー。」
「はぁ?ちょっと、いきなりそれはないでしょう!全く、久々に来たかと思ったら…。自分で持ってきなさいよ、こっちは一人で忙しいんだから!」
真知子は手際よくコーヒーを淹れながらも、ぐちぐち言うのが止まらない。
「あんたさー、もう少し顔ぐらい見せてくれたっていいんじゃないの?ちゃんと、ご飯は食べれてんの?自炊できないなら、うちでもここでも来いって言ってんのに。まぁ、最近は学校で問題も起こしてないみたいだからいいけどー…。」
「はぁ…ぐちぐちうるせぇな。」
「はぁ?何つった今?!」
「早く、コーヒー。」
小うるさい真知子からコーヒーをやっと受け取り、梧桐は、いつもの指定席へと向かう。
そこにはソワレの責任者であり、陣のトップを務める陸奥がいる。
「よ、あお、お疲れ。どう、ソワレのバイトはめぼしい子いそう?」
「芥川と日比野が推してきた女が一人。今日は、バイトとか何とかで急いで帰って、連れて来れなかった。」
「まぁ、二人の推しなら問題ないだろうね。でもよぉ、相棒。まさか女の子をあの海の見える部屋に呼びだしたりとか、してねーよなぁ。あれ、マジで怖いだろ、フツーに。」
「……」
「はぁ…だからお前モテねーのよ、俺と違ってさぁ。」
「…、そいや今日は久々に青山見かけたな。」
「あぁ、青山ねー。あいつ、そろそろ死刑なんだよなぁ。」
「もう執行済みみたいなもんだろ。」
そこで、同じテーブルに加わった男の声が新たに加わる。
「相変わらず物騒な話ばっかだな、二人揃うと。」
陸奥と梧桐の会話に入ってきたのは、トイレから戻ってきた月岡(つきおか)。陣のメンバーで、南海エリア1の秀才校である正木高校実行部のトップを務めている男だ。
梧桐は、指で眼鏡を押しながら月岡を見る。
「久しぶりだな、月岡。ソワレのときしか見てない気がすんな。」
「その通りだけど。まぁ、早めに欠員よこしてくれよ。ホールの配置もあるし。」
梧桐はため息をつく。月岡からそう言われることは目に見えていたらこそ、今日ここにアルバイト候補を一緒に連れて来る予定だった。それなのにと、芥川と日比野のへらへら笑う顔を思い浮かべて、再び腹の底にいる虫の具合が悪くなってくる。
月岡は、几帳面そうに眼鏡をかけ直す。
「今回うまくいけば、もっと売上を見込めるようになる。だから失敗はしたくない。準備は完璧にしたい。」
ニコニコ笑う陸奥と、興味なさそうにコーヒーを飲む梧桐。
「さすがだね。月岡は。データも完璧だし。」
「進学高は違うな。」
「二人して、世辞にもないこというなよ。本当、うすら寒い。」
ある程度、話が済むと、雑談のような話がメインとなっていく。
梧桐は、陸奥・月岡の会話に時折加わったり、流し聞きしたりしながら、外をなんともなしに見やる。
19時過ぎで、すでに日は落ちていて暗いが、さすがここら辺の主要駅の帰宅タイムということもあり、絶えずに人は行き交う。
「ところで陸奥は誰に断られたんだ?ソワレのバイト。陸奥の声がけ、断るやつなんているんだな。」
「ノンノン、断ってきたのは真知子さんでさぁ。海音の新しいバイトの子だったんだよ。好みの女の子だったんだけど、即答で「ダメ」つって。」
「なるほどな。まぁ、でも新規バイトは、もう梧桐と岩倉に任せとくほうがいいだろ。そこまで世話焼いてたら、手が回らないはずだ。」
「まぁね。最近は、”女王様”が攻撃的で特に大変だからねぇ。」
「マオ姉弟を説得するのは、さすがの陸奥でも手を焼くんだな。」
「それもこれも、岩倉のせいなんよ。あいつご機嫌とりっていう言葉を知らねぇから。マオ弟は美男子だし、善ちゃんは遊び人のお坊ちゃまだし、瀬戸口はバカだし。まじでろくなのがいねぇなぁ、山辺は。」
「マオ弟のそれは、悪いところなのか?」
二人の話を聞きながらも、梧桐が考えてたのは別のこと。ここ2ヶ月ぐらいよく思い出すこと。
ーエザワマイコ
いろいろな伝手を使ってみても、なかなか辿り着けない。何の変哲もない、普通の女だったのに。
梧桐が、ぼんやりと見つめる駅前の景色。通りすぎていく群衆のなかに埋もれていく、その面影。あのときと同じように、ぼんやりと脱力しきった眼差しが視界のどこかに割り込んでくる。
梧桐は、すぐに店から出てあたりを見渡すが、そこにはもう先ほど見かけた影も形もない。ただの見間違いだったのか、あるいは多くの人が行き交う駅前のなかで見失ってしまっただけなのか、それすらよくわからない。
再び店内に戻ってきた梧桐を、不思議そうに見つめる陸奥。
「どったの?いきなり。」
「橋村の店のやつがいたかと思ったんだよ。」
「あぁ、従業員?」
「何人か後処理できなかった連中もいたから。」
「もういいんじゃね。橋村の独断で動いてたお粗末な店だったし。…それとも何かあったの?報告してること以外にさ。」
「そんなもんない。」
「ふーん?…まぁ、ほどほどにね。」
梧桐は、深くため息をついて、また夜の街並を見つめた。